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宇城道塾 道塾事務局ブログ

「なぜか笑ってしまう」キーワードは『調和』

道塾の感想文を読んでいて、少し気になることがありました。
実技を受けていて、なぜか笑ってしまったという内容です。
受講したクラスや体験した実技はバラバラなのですが・・・

clip01.jpg宇城道塾は、宇城塾長の検証に驚いているどよめきと、楽しそうな笑い声が印象的なのですが、その笑い声とはちょっと違います。

気になったので拾い出してみたら、キーワードは「調和」のようです。
「調和」の検証動画はこちらからご覧いただけます
 ⇒ 実践映像クリップ

先生に「相手と喧嘩するように組み合ってみろ」と言われ組み合いました。
その相手は私より一回り大きく筋肉隆々した方で、私の首をすごい力で引き寄せられました。
デモンストレーションとわかっていても内心むっとしてしまいましたが、次の瞬間、先生の素早い当て身を入れられると、二人とも飛ばされてしまいました。先生の当て身は背中まで衝撃が貫通し、痛いのですが、なぜか笑ってしまいました。
技を腕力でかけられた相手は敵対心や憎しみを生みますが、統一体の技は敵対心が生まれないことを体験させていただきました。
(大阪初級 第3回 男性)


先生が僕に「首を絞めてみろ」とおっしゃられて、僕の気持ちは「やばい、締めたらやられる」と思いながらも先生の首を締めに行き、気付いたら一回転して地面に転がってしまっていた。
なぜか僕は笑っていた。それは、気は衝突のものではなく調和するものであるから僕は笑っていたのかもしれない。
(大阪初級 第3回 男性)


今回投げられた人が別の人を投げる、また投げられた人が投げる、その連鎖が実践の中で検証されました。今まで何度か実践してきた内容ですが、今回はその実践を見ていて思わず大笑いしてしまったのです。以前は驚き、なぜだろう?と不思議に思い、眉間にしわをよせて見ていたのだと思います。今回はおかしくてたまりません。投げるという攻撃的な行為が全く意味をなさず、まるで大の大人が戯れているようなのです。
 ハッと気付くことがありました。投げることと投げられることに違いがない、本当は「対立」ということそのものがこの宇宙に存在しないのではないか、こんなに投げ続けていてもまったく対立の空気が生まれない、これが本当の姿なのではないか、と思ったのです。世界に存在しているかに見える対立は、勝手に人間が愚かな心で映しているもの、宇宙にはもともと存在しない、本来はすべてが調和している、先生がその本来の姿を見せてくださっているのではないかと思ったのです。対立しようとするけれど戯れてしまう、その滑稽さで。
(東京上級 第1回 女性)


様々な心の発動の検証を体験させていただきましたが、最も考えさせられたのが人の集団を押すことのできる場所があるという「立ち位置」の検証でした。
 私は押される「受け手」の集団の2列目にいたのですが、「押し手」の方ができない立ち位置から押そうとすると、押し手と受け手が接触する前に、私の後方や側面から「押されまい」という思いのようなものが押し手の方に流れ、受け手の人々の身体が引き寄せあって密度が増した気がしました。
 これに対し、宇城先生が押したり、引いたり、横に動かしたりする際には、受け手が「動かされまい」と思う以前に、内面が先に動かされているような不思議な感覚になり、もう仕方がないといった思いに到り、動かされながら自然と笑いが出てきました。これが「調和」と「相手に入る」、そして「観念させる」ことなのだと感じました。
(仙台 第2回 男性)


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